何にもしなくていいのに、何かしなければと思い込んでいる社会。
何かしなくちゃ、
仕事頑張らなくちゃ
肩書きもたなくちゃ、
趣味を持たなくちゃって、
思い込ませようとしてくる社会。
みんな同じを良しとするからどんどん膨らんだ思い込み。
足りないものを付け足そうとするなんてことは、だいたい疲れるもの。
自分にないものをくっつけようとしてるんだから、くっつくわけないんだよね。
くっつくべきものはもうくっついてるから。
だから、何がくっついてる人がいいとかじゃないんだよ、きっと。
それぞれくっついてるものがあるから、それの範囲で楽しく生きればいいはずなの。
ああ、この人はこれくっついてるんだね、私はこれくっついてるみたいだ。
あ、これほしい人いるから、私の持ってる分おすそわけして助けてあげよう。
とか、それぞれを尊重して、支え合えば、
全体として足りないものは何にもないんだよね。
だから助けを借りることさえできれば、何にもなくたって、自分でいるだけで、無理しなくても幸せでいられる。
逆に助けを借りないと絶対自分の持ってるものだけでは生きられないと早く実感したほうがいい。
そして素直に助けを借りられるようになったら、自分のできる範囲で社会の中の役に立ちたいなって、恩返し的な意味で真に思えるようになる。
そしたら、本当に自然体で、あるもので働ける。
そして、何にも付け足さなくても誰かの役に立てるし、ちゃんと誰かに優しくされるんだ。って色々気づく。
私も、何にも条件なく、優しくしようとも思える。
助け合いの優しい世界に気づけば、そうやって1人で強がったり、無理して不用品を身につけようとアクセクしなくてもいいことに気がつくのに。
助け合いの世界、思い出そう。
見えないけど、昔から変わらず人はきちんと繋がっているんだ。
1人でガチガチにできるようにしたりせず、できる人
いるんだから頼ろう。
周り見渡せば、レジはレジで働いてる人にやってもらってるし、
病院行けば、丁寧に扱ってもらえて見てもらえるし、
美容室行けば、ニコニコ髪切ってもらえるし。
自然体でいても、何にもない自分でも、みんな優しいし、思い合って生きてることに、観察すれば気づけるはず。
気づける心の余裕と、他者への見返りを求めない助け合いの世界を思い出せれば。
少しは生きやすくなるはずと、思う。
まぁ、
競争社会です、みたいなバリバリしてたり、ごちゃごちゃしてるところにいれば、
これを手に入れなきゃいけないのか、とか変な不安や、
集団の中の1人、という孤独感が余計、個を強くしなければ生き残れない、
という価値観を生んじゃうのは、ストレス極まりないよね。
その点で、地方は、
疎だから、人と人の距離が物理的にあるから、
私は私でいいやと、自分の軸を守れるのと同時に、
精神的距離は近いから、繋がってる感で、
モノや自分1人の能力に依存しないでいれるから、
生きるのが楽に思うなぁ。